これまで会わなかったのは、
今日この日のためだったんじゃないかっていうくらい自然だった。
???? J
僕がソロとして活動していくっていうときにも
Jさんを見て、そこでまた勇気が沸いちゃったんです。
???? 難波章浩
『THE POWER OF LOW-END』は、ベース・マガジンでのふたりの対談をきっかけとして実現した。その記事が掲載されたベース・マガジン2012年4月号より、「J×難波章浩 対談に至るまでの数奇な符号」を転載する。
LUNA SEAのJとHi-STANDARDの難波章浩──90年代の邦楽シーンにおいて異なる歴史を築き、片や社会現象を巻き起こすほどのバンドにおいてうねるロック・ベースの魅力を極め、片やベースを携えて歌うパンク・ロックのアイコン的フロントマンとして、ベーシストの存在感を一般に知らしめる功績を果たしたふたりである。
互いの活躍に敬意を払いつつも、今回の対談が実現するまでまったく面識がなかったというふたりであるが、両者の辿った道筋には意外なまでの共通項が見られる。
まずは彼らが同世代であり、デビューはLUNA SEAが92年に対して、Hi-STANDARDが94年、そしてバンドが休止したのはどちらも2000年という、活動時期の一致。
その後のソロ・ワークにおいてJが聴かせた荒々しい音楽性は、難波もフェイバリットに挙げる70年代パンクの衝動を体現したものであり、ここには共通の背景とともに、音を鳴らすことへのモチベーションにパンク精神が滲むという、音楽的ルーツの一致もある。
その表現にベース&ヴォーカルという手法を選んだことも、奏法面で言えば、それを誇示するかのようにどちらもピック弾きにこだわっている点も似ているし、さらにはESPという同じブランドの楽器を携え、音への探求心がオリジナル・デザインの愛器にも傾けられている点など、偶然と片付けてしまうにはあまりにも惜しい符合が重なるのである。
そして何より、対談中に難波の口から飛び出した事実。2011年のバンド・シーンの話題をさらったHi-STANDARDの電撃復活からAIR JAM 2011開催までの流れは、LUNA SEAのREBOOTに勇気づけられたものだという証言も驚きである。
今回の対談はまさに、間接的に刺激し合い、お互いを高めあってきたふたりの奇跡的な邂逅というわけだ。それを踏まえてみると、彼らの言葉の数々が、ことさらに重みを増して感じられるのである。
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