DISC 1
14Don’t Pass Me By
ドント・パス・ミー・バイ
1968年6月5日、6日、7月12日、22日、アビイ・ロード第2スタジオで録音
初めてRichard Starkey の作詞・作曲がクレジットされた
レコーディングの4年前、1964年6月のオーストラリアのツアー中に入院していたリンゴが退院して、ニュージーランド公演から復帰した。その際受けたラジオのインタビューですでに、リンゴはこの曲について「僕が書いた曲を歌ってくれよ」と訴え、ポールが「リンゴが〈ドント・パス・ミー・バイ〉という曲を書きました。きれいなメロディで、リンゴもソングライターの仲間入りです」と言っている。
リンゴの好きなスリー・コードのカントリー&ウェスタン調の曲である。やっと4年後の1968年6月5日になってレコーディングすることになった。翌6日にリンゴのボーカルとポールのベースをオーバー・ダビングした。そのまま約1ヵ月手つかずだったが、7月12日にジャック・ファロンのバイオリンを録音。その後、ポールのアコースティック・ギターとリンゴのピアノをオーバー・ダビング。
なんとフィドル奏者はビートルズ初期の興行主だった
ビートルズはバイオリン奏者のジャック・ファロンを見て驚いた。ビートルズがEMI のオーディションを受ける10週前の1962年3月31日、ブライアン・エプスタインがイングランド南部で、ビートルズのプロとしての最初の仕事を手配したのが、ベーシストやバイオリニストとして、ディジー・ガレスビーやエラ・フィッツジェラルドやデューク・エリントンらのセッションにも参加したミュージシャンであり、興業エージェントも経営していたジャック・ファロンだったのだ。その後も数回ビートルズを公演させた。ファロンは「ジョージ・マーティンが私のために12小節のブルースを書いたんだ。カントリー・フィドルはたいていダブル・ストップで演奏するんだけど、ポールとジョージ・マーティンはシングル・ノートでやってくれと言った。カントリー・サウンドにはならなかったが、彼らは満足したよだった」と言っている。ダブル・ストップとはカントリーやブルー・グラスのフィドル(バイオリン)の弾き方でクラシックのような単音ではなく、2本の弦を弾き複音を使う奏法。
リズム・トラックのレコーディングはポールのピアノとリンゴのドラムス。ポールとリンゴが弾いた、左右のチャンネルで聴こえるエレキ・ピアノはフェンダー・ローズ・ピアノをレズリー・スピーカーに通している。片方にはディストーションもかけているようだ。
ポールはベースを2回弾いている。柔らかめな音と多少芯がある音の2本。ピアノもベースも割合普通のコード・プレイなのだが、このピアノのサウンドと、全編弾き続けているフィドルの音だけでこの曲の印象は決まっている。
3回出てくるサビの「♪Don’t pass me by, don’t make me cry, don’t make me blue ~」の2回目と3回目の間でリンゴが「One, Two, ~ Eight」まで2小節でカウントしている声が聴こえる。
やはり、この程度の曲ではなかなか取り上げられなかったのも無理はない。他の3人だったら、1日に何曲もできてしまうレベル。『ホワイト・アルバム』でなければレコーディングされなかったかもしれない。
バックのフィドル(バイオリン)がなければ3コードの童謡みたいな曲。しかし、このフィドルのおかげでビートルズの曲に仕上がっているのがジョージ・マーティンのアレンジ力とビートルズの起こすマジックなのだろう。
ある本でビートルズの曲の人気投票ランキングで後ろから2番目という残念な結果になっていたが、サザン・ロックの「ジョージア・サテライツ」がカバーした「ドント・パス・ミー・バイ」は実にカッコいいロックン・ロールに仕上がっている。
<使用楽器>
ジョン:不参加
ポール:リッケンバッカー4001S、マーティンD-28、フェンダー・ローズ・エレクトリック・ピアノ
ジョージ:不参加
リンゴ:ドラムス、ピアノ
ジャック・ファロン:バイオリン