LaidBack Reportage
たかが邦題、
されど邦題
It's only Japanese title, but we like it.
レイドバック世代が洋楽を聴く時、邦題を思い浮かべる人も多いだろう。世の中には名邦題から迷邦題まで印象的な邦題が数限りなくあり、原題よりも記憶に残っているというケースが多々ある。例えば「哀しみの恋人達」は「哀しみの恋人達」であって、決して「’Cause We’ve Ended As Lovers」ではないし、「対自核」は「対自核」であって、「Look At Yourself」ではないのである。かくも邦題は我々世代には馴染み深く、ある種“愛でる”といった感覚すらある。いったい邦題とは何なのだろうか。誰がどのようにして考え出しているのだろうか。ギター・マガジン・レイドバックVol.5ではそんな邦題に関する特集をしているが、ここでは誌面に載せきれなかったネタを掲載する。たかが邦題、されど邦題。そこには深遠なる世界が広がっている。アルファベットをカタカナ表記にしただけでは伝わらない大事な何かを含意する“邦題”の魅力を探る。
元洋楽ディレクターが明かす邦題のつけ方
INTERVIEW
田中敏明
メールによるインタビュー ※ノーカット版
良い邦題とは人の心にいつまでも残るタイトル、
そして、カバーされても普遍的に親しまれるタイトルだと思います。
日本のマーケットに受け入れられるように
邦題をつける習慣がありました
●出身地、生年を教えて下さい。
○1954年、山梨県の甲府で生まれました。父親の転勤で5歳から高校卒業までは名古屋で暮らしました。
●家庭は音楽的な環境でしたか?
○両親ともクラシックの歌曲などを聴いていましたが、特に音楽的な家庭環境ではなかったと思います。
●洋楽に目覚めたのはいつ頃でしたか?
○加山雄三さんの『エレキの若大将』から寺内タケシが好きになり、そこからベンチャーズやスプートニクスを聴き出したのがきっかけでした。当時(小学生)はソノシート(フォノシート)を購入していました。
●洋楽ディレクターになるまでの道のりを簡単に教えて下さい。
○大学時代に少し物書きみたいなことをやっていて、Pヴァインの前身で日暮泰文さんや鈴木啓志さんが発行していた『THE BLUES』(後の『ブラック・ミュージック・レヴュー』)の編集スタッフをやっていました。それでレコード会社にも出入りし、当時『ニューミュージック・マガジン』の編集長だった中村とうよう先生の紹介で、ワーナー・パイオニアの折田育造さんにお会いし、大学4年からバイトで働き始めました。会社に寝泊まりする日々でしたが、洋楽シングルのラジオ・プロモーションから始めて、大変勉強になりました。
●レコード会社で制作の仕事をしていたのは何年間ぐらいですか?
○私は邦楽の経験はありませんので、厳密には制作という仕事ではありません。洋楽ディレクターは謂わばセレクターであり、日本のマーケットにマッチングする作品、アーティストを選んで、いかに効果的にプロモーションするかで真価が問われる仕事です。ワーナーの洋楽にいた時代は足掛け18年間ほどにはなりますが、自分で担当を持ったA&Rの時代は10年程度でしょうか。
●最初に手がけたアーティストから始まって、レコード会社在籍の間にご担当されていたアーティストを何人か教えて下さい。
○私は入社当初からワーナー・ブラザーズ担当でした。最初期は山浦正彦さん(現在ミュージックマン・ネット代表)、水野久美子さんという二人の先輩ディレクターが担当されるアーティストのシングル・プロモーションから始まり、自分でアーティストを担当するようになってからは数多くのレコードを日本のマーケットに送り出しました。ワーナー・ブラザーズは百貨店的なレーベルなので、ジャンルも様々でした。シンガー・ソングライター系からロック、ポップス、AOR、ジャズ・フュージョンなど多岐にわたっていました。何人か挙げると、ロッド・スチュワート、マイケル・フランクス、クリストファー・クロス、マドンナ、ジョージ・ベンソン、ドナルド・フェイゲン、アル・ジャロウ、シカゴ、ピーター・セテラ、ZZトップ、ポール・サイモン、スティーヴン・ビショップ、ラーセン・フェイトン・バンド、チャカ・カーン、ランディ・クロフォード、ライ・クーダー、リッキー・リー・ジョーンズ、ニコレット・ラーソン、ランディ・ニューマン、マイケル・センベロ、アレッシーなどでしょうか。
●最初につけた邦題を覚えていますか?
○もちろん、はっきりと覚えています。ジェイムス・テイラーの『イン・ザ・ポケット』からのシングル曲「Shower The People」でした。初めての洋楽A&R(ディレクター)としての仕事で1976年8月25日発売で、「愛の恵みを」という邦題をつけています。
●邦題はどういう過程を経てつけられていくのでしょうか。その道筋を詳しく教えて下さい。
○私がA&R(やはり洋楽ディレクターと言ったほうが似合っていると思います)の時代は、毎月日本発売する新譜のリリースを制作会議で決め、次に営業部門である洋楽販売課を交えて予備会議を開き、発売が正式に決定となると編成会議でプレゼンテーションしていました。この段階で洋楽ディレクターはアドヴァンス・シート(当時は手書きでした)にアーティスト名、タイトル、収録曲名、キャッチフレーズ(セールスポイント)を記入していきました。まず一番先に情報が必要なのがレコード店から注文を取る営業部門で、締め切りが早いので、既存アーティストの場合は音源も届いていない段階で作業していたものです。このアドヴァンス・シートを完成させる段階で、邦題が必要となります。中には(仮題)として更に熟考したものです。
●邦題はどういう場合に必要なのでしょうか?
○現在とは異なり、私が洋楽A&Rの時代(1970年代半ばから1990年頃)の洋楽はまだ "翻訳文化" の中にありました。右手にオリコン、左手にビルボードと形容していた業界の先輩がいましたが、まさに言い得て妙です。当時ディレクターのデスクには英和辞典が必需品として置かれており、日本のマーケットに受け入れられるよう、ヒットを祈願するように洋楽ディレクターは邦題をつける習慣がありました。
より大きなヒットにつなげていくには
今も邦題が必要なケースはあると思います。
●邦題をつける際に考慮するものは、原題の意味、アーティストイメージ、歌詞などいろいろあると思いますが、何を重視していましたか?
○ケース・バイ・ケースですね、ジャケットを見てひらめく場合もあれば、歌われている歌詞の意味を考慮する場合もあり、アーティストによりその時々で重視するものは異なります。リッキー・リー・ジョーンズのデビュー・アルバム(1979年)の場合は、アーティスト名のセルフ・タイトルですが、ノーマン・シーフ撮影のベレー帽をかぶり、煙草をくゆらせる彼女のポートレイト写真を見て、『浪漫』というタイトルが即座にひらめきました。アンデルセンのマッチ売りの少女が大人になったような、どこか薄幸なイメージがよぎりました。
●邦題をつける時に心がけていたことは? 売れ行きですか?
○まずは音楽ファンの心に届くこと、売れ行きは結果としてついてくるものに過ぎません。もちろんレコード会社の担当ディレクターとしては、最終的に目指すところは多くのファンにアピールした結果としてヒットすることですが。
●邦題というのは担当ディレクターの裁量で決められるものなのでしょうか? それとも上司や会議などの承認が必要なのですか?
○滅多にA&Rの意向に反対意見が出ることはありませんでしたが、まれに上司からもう一考するようにアドヴァンス・シートが突き返されることはありましたし、自分も後輩にそうしたことも一、二度はありました。
●田中さんがつけられたいくつかの邦題についてお聞きします。ラリー・カールトンの『夜の彷徨(さまよい)』(Larry Carlton)、ロッド・スチュワートの『明日へのキック・オフ』(Foot Loose & Fancy Free)、『スーパースターはブロンドがお好き』(Blondes Have More Fun)やクリストファー・クロスの「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」(“Arthur's Theme (Best That You Can Do)”)などがありますが、各々について、なぜこのような邦題にしたか教えて下さい。
○ラリー・カールトンの場合は、原題はセルフ・タイトルの“Larry Carlton”でした。ジャケットのアートワークが夜の街のイメージを感じさせるもので、このアルバムの前に担当していたマイケル・フランクスの『アート・オブ・ティー』の冒頭の「Nightmoves」(「愛はむなしく」)という曲でラリー・カールトンは素晴らしいフレーズのギターを弾いているんですよね。その印象もプラスになって「夜の彷徨」という邦題がひらめきました。ロッド・スチュワートはステージでもボールをキックするくらい無類のサッカー好きで、そこから『明日へのキック・オフ』が、『スーパースター』のほうは、まず前作の『明日へのキック・オフ』で日本でも人気が急上昇中でしたから何としてもスーパースターにしたかった、というのがひとつ、そこにマリリン・モンローの映画のタイトル『紳士は金髪がお好き』が重なり、『スーパースターはブロンドがお好き』となった次第です。
●特に「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」は原題とはまったく異なり、完全な創作のレベルだと思います。しかも邦題なのに英単語だけです(笑)。これは画期的といえますが、どうしてこうなったのでしょうか。
○この曲の原題は“Arthur’s Theme(Best That You Can Do)“なんですね。これではクリストファー・クロスとバート・バカラック/キャロル・ベイヤー・セイガーが作った素晴らしくロマンティックなこのバラードの魅力をファンに届けられないと思いました。歌詞の中にあるセンテンス“between the moon and New York City“がとても印象的に心に残りました。なので、「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」という邦題をつけることにしたんです。ワーナー映画は『ミスター・アーサー』のタイトルで公開しましたが、主題歌が映画の人気を上回る大ヒットとなりました。
●これはやられた!と思った邦題はありますか?
○一緒にワーナー・ブラザーズをやっていた佐藤淳さん、彼も鋭いセンスが光っていましたが、プリンスの「ビートに抱かれて」(原題“When Doves Cry”)!これは素晴らしかった。「パープル・レイン」の大ヒットの布石となった重要なヒット作でした。
●良い邦題とはどんなものだと思いますか?
○人の心にいつまでも残るタイトル。そして、カバーによりアーティストが変わってリバイバルしても普遍的に親しまれるタイトルだと思います。
●同じ職場あるいは他のレコード会社で、邦題名人といえる人がいれば教えて下さい。その人がつけた邦題も。
○同じワーナー・ミュージックでは、かつてエレクトラを担当していた松林天平さんがダントツのセンスの持ち主でした。彼にはキャロル・ベイヤー・セイガーの『私自身』(原題“Carole Bayer Sager”/1977)、ジョニ・ミッチェル『夏草の誘い』(“The Hissing of Summer Lawns”/1975)、リンダ・ロンシュタット『風にさらわれた恋』(“Hasten Down the Wind”/1976)などの心躍るような名題があります。しかし歴代のワーナーの邦題で最高の傑作と考えているのは、シカゴの「素直になれなくて」(“Hard To Say I’m Sorry”/1982)です。残念ながらA&Rだった竹内晃さんは鬼籍に入られました。
●他人がつけたものも含めて、傑作だと思う邦題を10個挙げて下さい。
○ピンク・フロイド『原子心母』(“Atom Heart Mother”)、ユーライア・ヒープ『対自核』(“Look At Yourself”)、イエス『究極』(“Going For The One”)、パーシー・スレッジ「男が女を愛する時」(“When a Man Loves a Woman”)、プロコール・ハルム「青い影」(“A Whiter Shade of Pale”)、ニール・ヤング「孤独の旅路」(“Heart Of Gold”)、キャロル・キング『つづれおり』(“Tepestry”)、ビー・ジーズ「ニューヨーク炭鉱の悲劇」(“New York Mining Disaster 1941”)、シカゴ「素直になれなくて」、リンダ・ロンシュタット『風にさらわれた恋』。余談ですが、以前たまたま入った青山の某レストランの品のいい老紳士のマスターが昔映画会社にいた方で、アラン・ドロンの初期の作品『太陽がいっぱい』(“Plein Soleil ”)(1960年)の邦題をつけられた方でした。もっと色々お話をお聞きしておくべきでした。昔のレコード会社の洋楽ディレクターの大先輩達は、「星影のステラ」(“Stella by Starlight”)、「言い出しかねて」(“I Can’t Get Started(With You)”)など、スタンダードやジャズの邦題で実に素晴らしいロマンティックなタイトルを数多くつけられています。
●逆にこれはひどいなと思う邦題をいくつか挙げて下さい。
○自分がつけたタイトル、他の人がつけたタイトル、他社のタイトルにもちろんそう感じる邦題はありますが、ノー・コメントとさせてください。先程も触れていますが、他のアーティストに受け継がれても、普遍的に愛される邦題であり続けることが肝心です。
●ご自分がつけた邦題で気に入っているものを10個挙げて下さい。
○10個選ぶのは難しいですけど、あえて選んでみるなら、
①ロッド・スチュワート『明日へのキック・オフ』(“Foot Loose & Fancy Free”)
②同『スーパースターはブロンドがお好き』(“Blondes Have More Fun”)
③クリストファー・クロス「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」④リッキー・リー・ジョーンズ『浪漫』(“Rickie Lee Jones”)、⑤モントローズ『反逆のジャンプ』(“Jump On It”)⑥ポール・サイモン「追憶の夜」(“Late In The Evening”)⑦デイヴィッド・サンボーン『ささやくシルエット』(“As We Speak”)、⑧ラリー・カールトン『夜の彷徨』、⑨ジョアン・ジルベルト『イマージュの部屋』(“AMOROSO”)、⑩ビル・ラバウンティ『涙は今夜だけ』(“This Night Won’t Last Forever”)あたりでしょうか。
●最後に、今でも洋楽に邦題は必要だと思いますか?
○今は邦楽も洋楽のようなアルファベットやカタカナのタイトルが多くなり、洋楽で邦題をつけることが極めて稀な状況です。私の現役時代から日本のグループ名や曲のタイトルが洋風になり、垣根がなくなってきた印象がありました。昔洋楽に携わった人間としては寂しいですし、洋楽の枠を広げてより大きなヒットにつなげていくには今も必要なケースはあるだろうと思います。
レイドバック世代は邦題がお好き
70〜80年代に青春時代を送ったレイドバック世代は最も邦題に馴染んでいる世代と言えるかもしれない。ギター・マガジン・レイドバック第5号の邦題特集では、そんな洋楽好きの業界関係者に好きなものを10個ずつ選んでもらい掲載したが、本誌編集長・野口のセレクトはスペースの都合で泣く泣くカットしたので、ここに掲載します。下にアンケート・フォームを用意したので、みなさんも好きな邦題を投稿して下さい。
質問事項
Q 60~80年代の洋楽で好きな邦題を10個、原題と共にあげて下さい。またその邦題が好きな理由を書いて下さい。 ※掲載は回答者の五十音順。表記年は国内盤発売年。『』はアルバム、「」はシングルです。なお、回答はランキングではありません。一部、例外的に50年代のものも含まれています。
野口広之
本誌編集長 57歳
- ①「ふられた気持」(You've Lost That Loving Feeling)/ライチャス・ブラザーズ 1964
- ②「心に茨を持つ少年」(The Boy with the Thorn in His Side)/ザ・スミス 1985
- ③「君の瞳に恋してる」(Can't Take My Eyes Off You)/フランキー・ヴァリ 1967
- ④「ボビーに首ったけ」(Bobby's Girl)/マーシー・ブレーン 1962
- ⑤「運命のひとひねり」(Simple Twist Of Fate)/ボブ・ディラン 1975
- ⑥「恋のピンチヒッター」(Substitute)/ザ・フー 1966
- ⑦『スリだー』 ("Weird Al" Yankovic In 3-D)/アル・ヤンコビック 1984
- ⑧『いたち野郎』(Weasels Ripped My Flesh)/フランク・ザッパ&ザ・マザーズ・オブ・インヴェンション 1970
- ⑨「すっきりしたぜ」(I’ll Feel A Whole Lot Better)/ザ・バーズ 1965
- ⑩「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」(Wake Me Up Before You Go Go)/ワム 1984
①は邦題の古典。名訳だと思います。②はThornを茨と訳したところが素晴らしい。おかげで詩的な感じがします。③これも古典ですね。超訳の部類ですが、曲の雰囲気を見事に表しています。④原題のままでもよさそうですが、“ボビーの彼女”と訳したら台なし。“首ったけ”っていい日本語だなあ。⑤アルバム『血の轍』には菅野ヘッケルさんによる名邦題多数。⑥これはヤラレタと思いました。⑦ワロタ。最高!⑧衝撃の邦題。ジャケにいたちとオッサンの絵が描いてあるから(笑)。しかし、ザッパの雰囲気をよく表しています。⑨エアロスミス「やりたい気持ち」(Sweet Emotion)への回答?⑩ワムのアイドル性と軽快な曲調をピタリと表現した優れた作品。