DISC 1
17Julia
ジュリア
1968年10月13日、アビイ・ロード第2スタジオで録音
完璧なダブル・トラッキングのスリー・フィンガー奏法
『ホワイト・アルバム』収録用の最後のレコーディング曲は、ジョンがビートルズの時代、唯一、自分だけでレコーディングした曲。歌詞の最後の「♪ Julia」の伸ばしの音に、メロディのアタマの「♪ Julia」が重なってくるのが効果的だ。生ギターとボーカルだけというこの曲はドノヴァンに教えてもらったスリー・フィンガーで作曲した。
キーは「D」だが、ギターの2フレット目にカポタストをつけて、キーが「C」の形で弾いている。ボーカルとギターを2回ずつレコーディングしてダブル・トラッキングにしている。
しかし、ジョンの3フィンガーのうまさには驚きだ。ほとんどミスがない。サウンドもADT のダブル・トラッキングの響きではなく、2回弾いたとの記録もあることなので実際に2回弾いたのだろう。ドノヴァンはジョンのギターに対する熱心さに驚いている。
ジョンと美智子皇后が同じ本を読んでいた
最初の2行の詞「Half of what I say is meaningless, but I say it just to reach you」はレバノン出身の詩人・画家・彫刻家、ハリール・ジブラーン(Khalil Gibran:英語読みでカリール・ジブランとも呼ばれる)の1923年に発表された詩集『The Prophet(預言者)』から引用している。
当時、皇太子妃だった美智子皇后が、レバノン大統領から贈られたジブラーンの詩集『預言者』を愛読していたという。皇后とジョンが同じ本を読んでいたというのも興味深い。オノ・ヨーコの影響だろうか?
Juliaという名前はジョンの母親の名前で、ジョンは二度母親を失ったと言っている。一度目はジョンが5歳で、ジョンを叔母に預けて出て行ってしまったとき。二度目は、非番の警官が運転する車にはねられて母が死んでしまったときだ。ジョンは「母に死なれて、いっそう他人に辛辣に当たるようになった。小さい頃からの挑戦的な態度が非常に露骨になっていった。母との関係を立て直そうと本気で考え始めたとたん、母が殺されたんだ。あの歌は母のためのものだよ、そしてヨーコのためのね」と言っている。
「♪ Julia, Julia oceanchild」の「oceanchild」を訳すと「洋子」になり母親の名前とつなげて歌っている。ジョンが懸命にマザー・コンプレックスから自分の気持ちをオノ・ヨーコに移行させて行く過程のように聴こえる。ジョンはビートルズ解散後にも母親を歌った「マザー」や「マイ・マミーズ・デッド」を書いている。
<使用楽器>
ジョン:ギブソンJ-160E
ポール:不参加
ジョージ:不参加
リンゴ:不参加