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2017.10.31

名匠から学ぶ正統エンジニアリング:内沼映二|サウンド&レコーディング・マガジン2017年12月号より

Text by iori matsumoto

 1944年生まれ、1965年にテイチクへの入社を皮切りに、後にビクター/RVCに移籍。1979年にはミキサーズラボを設立し、多くのエンジニアを束ねる存在としても知られる内沼映二氏。氏自身のエンジニアとしての名声は、1970〜80年代、多くのヒット曲を手掛けたことによって広く知られるところとなった。そのほか角松敏生のような音にこだわるアーティストの作品、冨田勲『新日本紀行』や松本晃彦『踊る大捜査線THE MOVIE』、鷺巣詩郎『新世紀エヴァンゲリオン』といったサウンドトラック、自身がプロデュースするビッグバンド・ジャズ作品、ごく最近では石川さゆり/竹原ピストル/加山雄三「東京五輪音頭-2020-」など、常に世間の耳に止まるサウンドを手掛けてきている。今も業界に貢献し続ける氏に、自身のエンジニアリングのバックボーンを語っていただいた。

 「音楽は作詞家、作曲家、編曲家、演奏者、歌手......そういった作り手の思いが集まったものですから、それをいかに表現し、クリエイトするか。それを分かりやすくリスナーに届けるというのが自分のモットーですね。それに対して技術的なことをやってきたわけですが、時代によってその時代の流行を加味しながら、リスナーに届ける。それがエンジニアとしての使命だと思っています


 そう語る内沼氏は、ステレオ同録のころからマルチトラック化、そして現在のDAWベースの時代まで長くキャリアを重ねてきた。特に歌謡曲全盛と言える1970〜80年代は、筒美京平氏の筆による楽曲を数多く手掛け、その過程で学んだことが多いという。全盛期の筒美氏と言えば、海外から大量のレコードを買い付け、洋楽で流行しているサウンドをいち早く自作に取り入れようとしていたことで有名だった。"時代の流行を加味しながら"という姿勢は、まさにそこから内沼氏に身に付いていった姿勢とも言える。

 「筒美先生は技術的なことに明るいわけではないので、抽象的なリクエストをされる。それを自分がインターフェースとなって音に反映していきました。当初は時間がかかりましたね。新しいもの好きな方で、洋楽にしてもいち早くレコードを買って聴いている。"あれ聴いた?"と言われたら"まだです"とは言えないので、メロディハウス(編註:原宿竹下通りにあった輸入盤ショップ)に定期的に行って輸入盤の新譜をチェックしていましたね。筒美先生は海外で流行しているサウンドを取り入れることが多くて、やっていてすごく楽しかった。でも、"こういうふうにしたい"と言われたときに"なんですか、それ?"とは絶対に言えない。"もっと勉強しなさい"と言われますから」


 もともと個人的にはビッグバンドやオーケストラを好んでいたという内沼氏の技術とセンスは、こうしたスタジオ・ワークでさまざまなジャンルに対応できるよう磨かれていったそうだ。もちろん氏にとって、吸収の対象となったのは筒美氏だけではない。


 「新しいもの好きという意味では角松(敏生)もそうですね。12インチ・リミックスを角松と2人で、アナログ・テープを切り張りして作っていたこともありました。そうしたことを始めるのも早かった......船山(基紀)さん(編註:1980年代にいち早くFAIRLIGHT CMIを使い始めたことでも知られる作編曲家)をはじめ、アレンジャーの人たちとも一緒にいろいろなことをやりました。若いころは歌謡曲やアイドルを毎日手掛けていたんですが、それでどんなジャンルが来ても大体はこなせるようになりましたね」

(続きはサウンド&レコーディング・マガジン2017年12月号にて!)


サウンド&レコーディング・マガジン 2017年12月号

品種雑誌
仕様B5変形判 / 276ページ
発売日2017.10.25