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2018.03.09

ゼイトーヴェンのビート・メイキング術は南部と西海岸の融合?|サウンド&レコーディング・マガジン2018年4月号より

Text by Paul Tingen, Translation by Takuto Kaneko

アトランタのラップ/トラップ・シーンに影響を与え続ける
人気プロデューサー、ゼイトーヴェンの即興的ビート・メイキング論

サウンド&レコーディング・マガジン2018年4月号では、アトランタのラップ/トラップ・ミュージックを音楽シーンに根付かせ、数々のヒット曲を量産している人気プロデューサー、ゼイトーヴェンのインタビューが掲載されている。アトランタと言えば、フューチャー、グッチ・メイン、21サヴェージ、ミーゴスなど、ここ10年ほどヒット・チャートの上位を占めているラップ/トラップ・アーティストを多く輩出していることで名高い。さらに少し時を戻せば、アンドレ・3000、アッシャー、2チェインズ、リル・ジョンなど、数限り無いスターやプロデューサーを生み出し、そのサイズには不釣り合いなほど巨大なインパクトを音楽シーンに与え続けてきた。今回のインタビューでは、ゼイトーヴェンが今まで築き上げたキャリアや独自の音楽哲学、そしてビート・メイキングの秘密が語られた。

エッジーでクリエイティブ
これが人々の関心を引く秘訣さ

 トラップというジャンルは、まず初めにプロデューサーのリル・ジョン、マニー・フレッシュ、DJポールらによって始められ、後にファットボーイ、ショーティー・レッド、そしてゼイトーヴェンらがさらに発展させていった。彼らのサウンドはアトランタのラップ・シーンに大きな影響を与え、今では世界中に影響力を持っている。こうしたトラップのサウンド、特にゼイトーヴェンのそれは、今やR&B/ポップスといったほかのジャンルにも少しずつ浸透しているのだ。ラテン・トラップというものの誕生がそれをよく表している。このことについてゼイトーヴェンはこう話す。 

 「アトランタが成し遂げてきたことには本当に驚いているよ! もともとビートもミュージックもいい感じだったんだが、フューチャーやミーゴスといった連中がそれに合わせてメロディを歌うことを始めたんだ。彼らはシンガーとしてではなくあくまでラッパーとして歌っていたから、ハーモニーだとか小難しいことは全くやっていなかった。けれどそのメロディがとてもキャッチーで、リスナーが皆一緒に歌えるようなものだったんだ。そうしてアトランタのサウンドはますますポピュラーになっていったんだ。エッジーでクリエイティブ、これが人々の関心を引く秘訣さ」

 T-ペインやカニエ・ウェストらによるピッチ補正ソフトの活用がアトランタの音楽シーンにも影響を与え、ひいてはラッパーたちが歌い始めたきっかけでもあることはゼイトーヴェンも認めているが、そのことについて彼はこう語っている。

 「T-ペインが最初にああいうことを始めた連中の一人なのは間違いないよ。だが、彼はあくまでシンガーとして歌っているんだ。さっきも言った通りフューチャーやミーゴスのクエイヴォはラッパーとしてアプローチしているから、フィーリングや歌い方が違っているんだよ。これまでプロデューサーたちが作り上げてきたトラップ・サウンドと、そこにフューチャーやほかの連中が足したメロディこそが今のトラップ・ミュージックに不可欠なものなんだ」

 無論トラップがアメリカのポップスやR&Bに取って代わっているというのはいささか言い過ぎに聞こえるだろう。だが、ここ数年のヒット・チャートで起こっていることはこの主張を裏付けているし、さらにはこれらの異なったジャンルが融合して発展してきているのだ。

 この複雑さに比べれば、ゼイトーヴェンがどのようにして今のビート・メイキングの第一人者としての地位を築き上げてきたかを語るのは楽だろう。彼のルーツをたどると、教会音楽に行き着くのだ。仲間のビート・メイカーたちとは異なり、ゼイトーヴェン独特のサウンドは無機質な打ち込みではなく、彼自身の演奏によって作られている。そして特筆すべきことは、彼が制作に費やしている時間が驚くほど短いということである。自然さと即興性がゼイトーヴェンの世界観の中では特に重要で、彼が一つのビートを作るのにかける時間は平均して約10分ほどであることがこれを裏付けている。15分以上時間をかけたビートは"フィーリングじゃない"ので使わないことが多いそうだ。ほかの多くのビート・メイカーたちが打ち込みと作品のブラッシュアップに何日も費やしているのとは対照的だ。

うまく南部のビートに落とし込めなかった経験が
逆に自分のサウンドを形作る手助けになった

 ゼイトーヴェンことゼイヴィア・ラマー・ドットソンは1980年にドイツに生まれ、8歳になるころにミシシッピ州グレナダの教会でドラムを始めた。彼の父は宣教師、母は聖歌隊の指揮者であり、これが彼の音楽の始まりだった。彼の父は陸軍に所属しており各地を転々とすることが多く、ドイツからアメリカに移り住んだのも彼が幼いころのことだったという。

 「最初は教会でドラムをたたいていたんだけれど、中でも大変だったのが、ほかにもやりたいやつがいっぱい居たってことだった。だから毎回1曲しかたたくことができなくて暇だったんだ。それで、自分の番を待つのが嫌だったからキーボードに変更したよ。教わった通りにマネしてオルガンで演奏し、家に帰ってからも夜中まで練習していたね。こうやって俺はキーボードを学んだんだ」

 若きドットソンの次のステップは15〜6歳のころ、一家でサンフランシスコに移住した後のことだった。このときに彼は著名なラッパー/プロデューサーだったJT・ザ・ビッガ・フィッガのところに通うことになったそうだ。

 「リズム・マシンやキーボード、それにほかのいろいろな機材がそろったスタジオを彼は持っていて、どうやって使うのかを見せてもらっていたんだ。俺もマネをしてビートを作り、それをテープに録音して家で聴いて喜んでいたよ。遊びでやっていたんだが、弟と従兄弟が俺の作ったビートに合わせてラップをしたいと言ってきた。同じ学校の連中も言ってくるようになったね。そのうち50ドルでビートを作ってやって、それが100ドルになり、200ドルになり、って感じだったよ」

 ドットソンがゼイトーヴェンと呼ばれるようになったのもこのころだったと言う。彼のキーボード・テクニックに感動した人がベートーヴェンを文字って名付けたそうだ。彼は2000年に高校を卒業すると、先に移住していた家族を追ってアトランタに住む。アトランタでは理容学校に通い、理容師として働きながら自宅の地下にスタジオを構えた。理容師としての時間が彼に予想外の出会いをもたらしたそうだ。というのも、その仕事を通して幾人かのラッパーと出会うことになり、その中にグッチ・メインがいたそうだ。当時のゼイトーヴェンのビートはかなり西海岸風であったが、彼は初期のアトランタのヒップホップ・シーンに入り込んでいくことになる。

 「西海岸のラップも好きだったし、南部のラップも好きだった。けど西海岸に住んでいたから西海岸風のビートを作らなきゃならなかったんだよ。アトランタに移った後はアトランタ・スタイルのビートを作ろうとしたんだが、周りの連中みたいなサウンドが作れなかったんだ。当時俺が満足させなきゃいけなかったラッパーたちは、よりシンプルでROLAND TR-808がリードする感じのものを欲しがっていた。対して俺の作っていたものはメロディがリードする感じが強過ぎたんだ。影響を受けていた西海岸のスタイルをうまく南部のビートに落とし込めなかった経験が、逆に俺のサウンドを形作る手助けになったと思うよ」

 結果、ゼイトーヴェンは最終的にアトランタの影響を強く受けつつも、彼自身のルーツを残したハイブリッドなものを作り上げることに成功する。

 「アトランタのサウンドではTR-808とキック、それにサブベースがとても重要なんだ。車のスピーカーをガタガタ言わせなきゃいけないからね! それからミッドレンジはラッパーがメロディを足すために空けておかなきゃならない。ミッドレンジの楽器を入れ過ぎるとラップとカブってしまうからね。俺にとってラップとは、トラックに最後に足される楽器みたいなもんだ。それらが最終的にミッドレンジを埋めてくれる」

(続きはサウンド&レコーディング・マガジン2018年4月号にて!)


サウンド&レコーディング・マガジン 2018年4月号

品種雑誌
仕様B5変形判 / 220ページ
発売日2018.2.24