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なかざわけんじ(元H₂O)インタビュー/ヒットのあとに見えた世界|『A面に恋をして』より
text by 谷口由記
シングルの表題曲が"A面"と呼ばれた時代に生まれた名曲について、歌い手自らが振り返る書籍『A面に恋をして 名曲誕生ストーリー』から、貴重な証言の数々を抜粋してお届けするインタビュー。第4弾は、元H₂Oのなかざわけんじが語る「想い出がいっぱい」。
H₂O「想い出がいっぱい」
ヒットのあとに見えた世界
―リリース直後の反響はいかがでしたか?
演歌的な売れ方って言われましたね。時間がかかっているんですよ。最初に、北海道、次に福岡、そして東京。そんな話を聞きましたね。北海道と福岡って、けっこうキャンペーンで行っていたんですよ。
―ヒットして世界が変わりましたよね?
そうですね。この曲の認知度が上がってテレビに出ると、地下鉄の改札口で女子高生に「キャー」って言われたりしましたね。びっくりしました。それまでそういう経験がなくて。僕らは格好も芸能人っぽくなくて、隣のお兄さん的な感じだったんですけど、このとき、半ば強制的にイメージ・チェンジをさせられたんです。ジャケットのとおり、モード系ですよ。これがしっくりこなくて嫌でね。
―どうしてですか?
着こなせないから。ズボンがずいぶんハイウエストでおかしいでしょう?
―たしかに腰の位置が高いですね。
ダサいんですよ(笑)。スタイリストも言ってくれればいいのに。髪型も慣れなくて。自分の生活からほど遠い格好になったんです。そこに違和感があって。
―それは誰のアイディアだったんですか?
スタイリストさんですね。これ(ジャケット写真)、当時のAORっぽいんじゃないですか? このネオンの感じとか、バブルちょっと前のシティ・ミュージックみたいな感じ。
―川瀬さんが入り、イメージも変えて、売り出した曲がヒットにつながった。どんな気持ちだったんですか?
これでブレイクしたら自分たちの好きなことができる、自分たちのオリジナルで勝負できるから、そのために今はがんばろうと2人でずっと話していました。そういう強力なプロの人たちに負けないような作品を作っていこうねって。
―実際はどうだったんですか?
このあと『エモーション』(1983年)というアルバムが出て、その次の『ネクストコーナー』(1985年)でH₂Oは終わってしまうんですけど、ほかの作家さんもけっこう関わっていて、自分たちの意見がなかなか通らなかった。やっぱり、自分たちの実力が足りなかったんだと思います。作家さんたちを上回るような作品を作れなかったというか。
―ヒット後、「僕らの曲を使ってくれ」みたいな話にはならなかったんですか?
なりましたよ。ただ、言い方は悪いですけど、二匹目のどじょうを狙ってどんどん......。次のシングルがキサブローさんの「Good-byeシーズン」という曲で、これもとてもいい曲なんですけどね。ファンの方たちも「あの歌はなかざわさんの歌声に合っている」と。僕も否定はしません。ライヴでも、ときどき歌っていますからね。ただ、自分たちをちょっと見失ったようなところがあったかもしれないですね。
―ヒットしたことで?
うん。自分たちの洋楽志向こそH₂Oだと思っていたんですけど、やっぱり歌謡曲的なものとかフォーク・タイプの曲が世間に受けていくなかで、自分たちが本当にやりたいサウンドを見失ったというか、だんだんブレていったのかもしれませんね。
なかざわ・けんじ●1957年長野県生まれ。1976年、H₂Oを結成。1980年、「ローレライ」でデビュー。1983年、アニメ『みゆき』の主題歌/エンディング・テーマ「想い出がいっぱい/10%の雨予報」が大ヒット。2004年以降は熊本県を拠点に活動し、現在、RKKラジオで毎週月曜日19:00~『中沢けんじとすみママの想い出がいっぱい』を放送中。 http://kenji-nakazawa.com/
A面に恋をして 名曲誕生ストーリー
品種 | 書籍 |
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仕様 | 四六判 / 192ページ |
発売日 | 2018.03.16 |