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レコード産業へ進出した名門の東芝(4)東芝レコードの礎となった「黒い花びら」〜書籍『ウェルカム!ビートルズ 1966年の武道館公演を実現させたビジネスマンたち』より。
text by リットーミュージック編集部
ビートルズの来日をめぐって展開される、高度経済成長期のビジネス物語を描いた書籍『ウェルカム!ビートルズ 1966年の武道館公演を実現させたビジネスマンたち』から一部を公開。4回に分けて連載します。明治生まれの教養人で目立つことを嫌った「サムライ」のような紳士たちによって、日本の音楽史にビッグバンが起こるまでのドキュメント。
「ネリカン・ブルース」騒動
東京・練馬にある少年鑑別所で歌い継がれていた「練鑑ブルース」は、口伝で伝わってきた作者不詳の歌だ。これがロカビリー歌手総出演の東宝映画『檻の中の野郎たち』の主題歌に決まった。それを歌うことになったのが、ホリプロダクションが売り出していた新人の守屋浩である。
ミッキー・カーチスと山下敬二郎との3人で『檻の中の野郎たち』に主演していた守屋浩は、1959年7月下旬に公開される映画にさきがけて、6月にコロムビアから主題歌を発売することになった。ただし歌い継がれている俗謡のままでは、歌詞が倫理的にまずかろうという判断で、『檻の中の野郎たち』の脚本家でコロムビアの専属作詞家でもあった関沢新一に、穏便な内容の詞を書き下ろしてもらった。そしてタイトルも「練鑑ブルース」ではなく、映画と同じ「檻の中の野郎たち」と変えている。
そのことを知ったビクターは映画に脇役で出ていた新人の坂本九に、同じように歌詞を変えた「練鑑ブルース」を歌わせることにした。それは「野郎たちのブルース」というタイトルになったが、そこに東芝レコードも競作に加わってきた。そして映画に主演していた山下敬二郎で、「ネリカン・ブルース」を作ったのである。
こうして「練鑑ブルース」をもとにしたレコードが、ロカビリー歌手によって3社から発売されることになった。それが社会問題になったのは、『毎日新聞』がその頃に「青少年不良化防止キャンペーン」を展開していたことによる。「青少年不良化防止キャンペーン続・愛の鐘を鳴らそう」を連載していた『毎日新聞』は、「口から口へと歌い継がれる日陰の歌」として「練鑑ブルース」を紹介したばかりだった。
「練鑑ブルース」を題材にしたレコードが、各社から競うように発売されることに対して、『毎日新聞』は「非行少年たちの〝隠れた歌〞が公然とレコード化され、それがラジオ、テレビで広く伝播されることになれば青少年不良化防止の〝愛の鐘〞運動の趣旨に反する悪影響が予想される」と、6月30日の社会面で大きく取り上げた。そこに法務省までもが介入してきた。
法務省では「現在鑑別所に収容されている少年の更生を妨げ、その父兄、関係者の心情を傷つけるものだ」などの四点の理由をあげ二十九日、レコードの制作と販売の中止を要望した。レコード制作基準管理委員会では三十日正午からの臨時委員会でこの問題を取りあげる。
(『毎日新聞』1959年6月30日)
矢面に立たされたのは日本コロムビア、日本ビクター、東芝レコードの3社だった。6月30日の正午から開かれたレコード制作基準管理委員会の臨時委員会で、それらの3社が発売について再検討したいと、自発的に申し出たことが発表された。そのために結論は7月2日に開かれる委員会に持ち越しとなった。『毎日新聞』はそこへ追い打ちをかけるように、「レコード会社に警告する」という社説を7月1日に掲載する。そこでは守屋浩の「檻の中の野郎たち」について、特にコロムビアが示した見解と態度を強い口調で非難していた。
この機会にいいたいのは流行歌を作る人たちの、ものの考え方の浅さについてである。ヤクザを否定すればヤクザを取り扱っても問題はない、というのがヤクザの歌をはやらせる口実になっているが、実際には、ヤクザを否定することで、感傷的気分をそそっているため、かえってヤクザを好ましいものに感じさせている。ぐれた女性の感傷を主題にして、やはり同様な気分を、世間に与えている傾向もあるし、愚劣低級な歌の数々で、一般の娯楽に暗い影をつくりすぎていることを、反省してみてはどうだろう。我々は「練鑑ブルース」の発売をとりやめるようにすすめると当時に、商売のために、流行歌を邪道へそれさせているレコード会社に警告する。
(『毎日新聞』1959年7月1日)
経団連を率いる財界のリーダーとして、社会的に大きな影響力を持つようになっていた石坂泰三は、日頃から「人間評価の第一はモラルである」と説いていた。しかも一企業の会長という以上に、すっかり公的な存在となっていたので、周囲からは清廉潔白を求められた。したがって低俗と呼ばれる音楽で、金儲けに走ることなどはまったく意に反することであった。
三大新聞の社説で「愚劣低級な歌の数々で、一般の娯楽に暗い影をつくりすぎている」と非難されるようなレコード会社は、泰三が目指していた理想とはほど遠かった。『毎日新聞』の記事が出た後ですぐに、範一郎が発売中止の判断を下したのも当然のことだ。同じく発売前だったビクターも、東芝レコードに追随して発売を取りやめた。すでに発売された後だったコロムビアの「檻の中の野郎たち」は、売れ行きが好調だったのでコロムビアはしばらく抵抗したが、世論に押されて店頭からレコードを回収せざるを得なくなった。
そんな騒ぎが収まった直後に、ジャズ・ピアニストの中村八大が範一郎のもとを訪れた。その趣旨は「黒い花びら」(作詞:永六輔)を何とかもう一度、レコードにして発売してもらえないかという申し入れであった。
輝かしい明日に向けて前進した東芝レコード
中村八大はロカビリー・スターたちを総動員した2本の映画、『檻の中の野郎たち』と『青春を賭けろ』の音楽を引き受けていた。その時に『青春を賭けろ』の挿入歌として作ったのが、三運符を重ねたロッカバラードの「黒い花びら」である。それは主演の夏木陽介によって映画の中で歌われることになっていたのだが、歌唱の難易度が高い楽曲だったことから、マナセプロダクションに所属する新人の水原弘が代わりに吹き替えて歌うことになった。
「黒い花びら」はそれまでの日本にはない、都会的でモダンなテイストのポップスに仕上がった。それは同じマナセプロダクションの山下敬二郎が歌う「ネリカン・ブルース」のB面で、7月に水原弘のデビュー曲として発売される予定だった。ところが「ネリカン・ブルース」が発売中止に追い込まれたために、「黒い花びら」も巻き添えをくらう形でお蔵入りしてしまった。
発売中止を知らされた中村八大の家に、老舗のコロムビアでポップス部門を担当していた長田幸治がやって来た。守屋浩の「檻の中の野郎たち」を手がけていたディレクターの長田は、「黒い花びら」が騒ぎに巻き込まれたことを知って、「ビクターのフランク永井なら10万枚はいくよ」と言った。
中村八大は水原弘のしゃがれたハスキーな低音のおかげで、今までにないセンスの曲ができたと自信を持っていたので、範一郎に直談判して自分の思いを伝えることにした。そうした思いや意気込みを聞いて、範一郎は直ちに「黒い花びら」をA面にした水原弘のシングル盤を、可能な限り早く臨時発売する決断を下している。
だが、社内の宣伝や営業の担当者たちは、そうした動きを半信半疑の様子でながめていたという。「ネリカン・ブルース」を企画した担当ディレクターの松田十四郎も、同僚のディレクターともども「黒い花びら」に対して、「変な歌だなあ」と口を揃えていたのである。それは「黒い花びら」があまりに新しすぎて、まだ理解できなかったからだ。
新人はB面でデビューするのが普通だった時代に、「黒い花びら」は敗者復活戦から勝ち上がるかのようにA面になった。そして発売と同時に、東京の下町から火がつくと、若者たちの支持を集めてヒットした。鮮やかな逆転劇でよみがえった「黒い花びら」は、アメリカの文化に馴染んで感覚が進んでいた若者たちと、それについていけない大人たちの差を浮かび上がらせて、新しい時代の幕開けを告げる結果になった。
これに関連して、まだ映画が公開される前の段階で、水原弘が『日劇ウエスタン・カーニバル』で歌った「黒い花びら」を草野昌一が聴いて、高い評価を与えていた事実を紹介しておきたい。草野はその頃、雑誌『ミュージック・ライフ』の編集長だったが、『ウェスタン・カーニバル』の模様を『ミュージック・ライフ』誌上でこうレポートしていた。
水原弘の「黒い花びら」。中村八大の曲で、ロック調のバラード。水原の個性をよく生かしている。水原も独特のハスキー・ヴォイスで暗い感じをよく出しているし、歌のうまさでは平尾に次ぐ。この二人とも歌手としてしっかりした〝根性〞を持っている。二人とも流行歌に進むようだが、流行歌手としてきっと成功するだろう。坂本九の「トラブル」は可もなし不可もなし。
(『ミュージック・ライフ』1959年8月号)
『ウエスタン・カーニバル』の生みの親の一人であり、応援団のような立場だったこともあって、草野はショーを見る目はいつも真剣そのものだったが、楽曲の良さと歌手の表現力を的確にとらえていたことがわかる。草野は高校生だった坂本九の素質にも注目していたが、この日はさほど心を動かされなかったようだ。そして「ネリカン・ブルース」に対して、はっきり否定的であったこともわかって興味深い。
第八景。「檻の中の野郎たち」。山下、ミッキー、坂本、水原、井上、守屋の六人による「ネリカン・ブルース」。東京鑑別所の非行少年の歌を何も日劇のステージで歌うこともなかろう。さすがに山下はこの歌を照れ臭そうに歌っていたが、「山下も大人になったな」とほほえましく感じられた。
こんな歌を大真面目で歌ったってどうしようもなかろうに。(同誌)
草野の記事が出てから半年後、「黒い花びら」はその年に制定された第1回レコード大賞で、大賞に選ばれたことで話題を呼んで、さらにヒットしていった。ふてぶてしさをにじませる水原弘の低声の魅力、秀でた歌唱力、それらを最大限に引き出した詞と曲、最新の迫力あるサウンドが若者たちに支持されたのである。「黒い花びら」を歌った水原弘は一躍スターになったが、作詞家も作曲家も同じように脚光を浴びることになった。そして中村八大と永六輔は新しい日本の歌を生み出して、音楽シーンに新風を吹き込んでいく。
東芝レコードの邦楽制作部門は、このことをきっかけにして軌道に乗り、東芝レコードというブランドも一気に浸透した。また、フリーの作家がこれまでにない新鮮な歌を誕生させたという事実は、音楽業界の構造を根本から変えていくきっかけにもなった。そして堅牢強固だった日本独自の専属作家制度は、ここから徐々にほころび始めていくことになる。
やがて、ビートルズの来日を契機にして、10年後には実質的に消滅するのだった。
ウェルカム!ビートルズ
品種 | 書籍 |
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仕様 | 四六判 / 416ページ |
発売日 | 2018.03.12 |