PICK UP
富裕層、若者層、ヤンキー層から形成される「湘南」のイメージ【第二回】
text by リットーミュージック編集部
"「湘南」はイメージである"という大胆な仮説を打ち出した書籍『「湘南」の誕生 音楽とポップ・カルチャーが果たした役割』が発売中だ。そのイメージは実は音楽や文学、映画などのポップ・カルチャーが作ったものである、というのが本書の主張である。その中身を5回に分けて紹介する二回目。
第二回
「湘南」の範囲
図 本書で想定する「湘南」の範囲
2014(平成26)年にJタウンネット神奈川が「湘南の範囲はどこまでだと思いますか?」という意識調査を行った。その後、1年間で8882人からの回答があり、一番得票率が高かったのは「茅ヶ崎〜葉山」で34・4%。次いで多かったのは「大磯〜葉山」で26・4%だった。また「湘南市構想エリア」の得票率は10%に満たなかった。そして「かながわシープロジェクト」で県が唱えた「湯河原から三浦まで」はたった4・5%しか支持されなかった。また編集部が独自に考案した「湘南指数」(該当する自治体の合計得票率を示すもの)では、茅ヶ崎・藤沢で90%を超えた。これに対して大磯・平塚は50%に達していない。また鎌倉、逗子、葉山の3自治体を湘南指数で見てみると、大磯・平塚を上回る66・3%もあったとし、編集部は「60%を及第点とするならば、茅ヶ崎・藤沢・鎌倉・逗子・葉山----以上の5自治体が湘南の称号にふさわしい」とまとめている。
本書では上記のさまざまな意見をもとに、歴史性を加味しつつ、少し広義に捉えてみようと思う。つまり横須賀市から大磯町まで伸びている国道134号線沿線、特に横須賀市の長者ヶ崎から大磯駅前の沿線が一番現実的なのではないだろうかという立場に立ってみることにする。
車でその国道134号線のルートを走ってみるとほぼ納得できるかと思う。左手に相模湾を見ながら走ることになるが、まさに風光明媚な非日常的な感覚を味わうことができる。それも東京から1時間圏内の至近距離だ。夏は特にサーフボードを抱えて道路を横切る若者の姿も多く、若者文化のメッカとしての面目躍如といったところだろう。
まず長者ヶ崎からスタートだ。長者ヶ崎は行政区的には横須賀市と葉山町の境界にある。ちょうど相模湾に岬が400メートルほど突出している。相模湾岸、江ノ島、富士、箱根、伊豆半島、大島、三浦半島南岸が一望に見渡せる。右手にはプリンで有名な「マーロウ」やバブル期に名を馳せた「ホテル音羽の森」が見える。
やがて左手に葉山御用邸が姿を現す。1894(明治27)年に設置されたこの御用邸には、天皇、皇后は2、3月に訪れる。この御用邸前から国道134号線は山回りになるが、左に曲がって県道207号線に入ることにしよう。いわゆる森戸海岸線だ。国道134号線は1930(昭和5)年に開通したので、それまではこの県道が行幸道路だった。
もちろん県道207号線は海沿いに続く。左手に葉山マリーナが見えてくる。ここは京急グループの経営するヨットハーバーで、映画『海猿』、喜多嶋隆の小説『湘南探偵物語』などにも登場する。その先は逗子市の渚橋に至り、国道134号線と合流する。左手にはかつての「なぎさホテル」と向かい合う形で逗子海岸が広がっている。逗子市の中心街を右手にして車は高級住宅地として知られる丘の上の披露山庭園住宅地の横を抜け、小坪漁港、逗子マリーナのリゾートマンション群を左手に見てトンネルを抜けると材木座だ。
材木座からは鎌倉市に入る。市内を流れる滑川がここに河口を持ち、川を挟んで東側を材木座海岸、西側を由比ヶ浜と称している。明治期には海水浴場になり、夏目漱石『こころ』にも描かれて有名になる。そして由比ヶ浜である。この辺りは鎌倉時代には御家人同士の戦さの場として知られているが、現在ではすっかりサーファーのメッカといったところだ。夏になると国道134号線はしばしば渋滞に陥る。
この界隈では国道134号線は江ノ島電鉄と並走する。大仏や観音で有名な長谷、茅葺(かやぶき)の山門のある極楽寺、日本の渚百選にも選ばれ、サーフィン、ウィンドサーフィンを楽しむ若者で賑わう七里ヶ浜、そして新田義貞の古事で知られる稲村ヶ崎を左手に見ながら藤沢方面へ向かう。
藤沢市の入口は片瀬海岸、そして江ノ島だ。片瀬海岸は境川を挟んで東浜、西浜に分かれており、地理的にはその境川河口に江ノ島が位置している。江ノ島は陸繋島(りくけいとう)で弁才天を中心に江戸時代から観光地として知られていた。今でも「湘南」を象徴する江ノ島だが、橋を左手に見て走ると新江ノ島水族館を過ぎる。そこからは海岸沿いに湘南海岸公園が先に延びていく。実際には門前町の性格を持つ江ノ島だが、現在では展望台を含めて広範囲な観光客を集めている。
そして次は鵠沼(くげぬま)に入る。当初は海水浴場、その後は別荘地、そして高級住宅地と発展していったところだ。政財界、学界の重鎮たち、作家や映画関係者なども居を構え、周辺に公園開発、ビーチスポーツのインフラ整備なども行われ、「湘南」のひとつの顔ともいえるだろう。とにかく小説、映画などで鵠沼は数多く舞台として扱われている。
辻堂も行政区としては鵠沼同様、藤沢市だ。辻堂海岸にも海水浴場があるが、明治時代にこの海岸は海軍の砲術試験場及び陸戦演習場になり、戦後も在日米軍の演習場になった時期があり、他の海岸とは趣を異にしている。現在はその演習場跡は辻堂海浜公園となり、ジャンボプールや交通展示館・公園などもある。JR辻堂駅は海岸からは距離があり、JR藤沢駅からもそれ以上の距離がある。
辻堂の隣は茅ヶ崎だ。サザンオールスターズの代名詞になっているこの海岸は「サザンビーチ」と名前が変わり、そこからはあの烏帽子(えぼし)岩が見える。かつてはパシフィックホテルのあったこの辺りは、明治時代には療養所「南湖園」などもあった。もちろん加山雄三の存在も忘れてはいけないが、「湘南」の海のイメージを代表するビーチだといえる。ただ国道134号線からは左手に松林がグリーンベルトを形成しているので、直接的に海岸を見ることは困難である。
茅ヶ崎を抜けて相模川を越えると平塚に入る。ここはかつての宿場町で、商工業が「湘南」の各都市より発達しているといえる。軍需産業に端を発し、現在では自動車関係の工場が数多く存在する。海岸沿いは湘南海岸公園として整備されているが、片瀬、鵠沼の同名の公園は県営、こちらは市営になっている。海が急に深くなっていたり、流れが強かったりして海水浴場には適していないとされていたが、2002(平成14)年に護岸工事を行い、新たに作られた。
そして花水川を越えて大磯に着く。ここは明治時代から政界、財界の人々がこぞって別荘を建てたところだ。2009(平成14)年春に旧吉田茂邸が火事になったことで大きな話題になった。大磯は「湘南」の中ではまだ牧歌的雰囲気を漂わせているが、保養のための海水浴場としては早くから整備されたところで、現在もなお、多くの人々を集めている。ジャンボプールの大磯ロングビーチが有名だ。JR大磯駅が国道134号線の終点になる。
さてちょうど本書で考える「湘南」の範囲を辿ってきた。ほぼ共通のイメージが描かれることが理解できるだろう。まず「海」の存在だ。これがイメージの基本になっているかと思われる。一般の人々に聞いてもまず「湘南」といえば十中八九は「海」を連想するに違いない。「湘南」以外にも全国には「海」を中心にしたイメージ形成が行われている地域も少なくない。しかし「湘南」はその中でもブランドとしては最高位に位置するといえる。