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Chara『Sympathy』リリース。〝宅録家〟としての一面に迫る|サウンド&レコーディング・マガジン2017年9月号より
Text by Kentaro Shinozaki & Tsuji. Taichi Photo by Taichi Nishimaki Hair&Make by Kazuhito Sugita(POOL) Styling by SHIRO.O
1991年のデビュー以来、その類い希なボーカル・スタイル/ソング・ライティング能力に加え、多様なクリエイターやエンジニアを招きながら音楽を創作し続けるChara。そんな彼女は、プライベート・スペース=Aurora Studioでデモ/プリプロ制作も行っており、いわば宅録家の一面も持っている。デビュー26年目を迎えた今年は最新作『Sympathy』を発表し、岸田繁、ケンモチヒデフミ、mabanua、牛尾憲輔(agraph)、Kan Sano、韻シストら多彩なミュージシャンを起用するなど、サウンド探求の旅は続行中。サウンド&レコーディング・マガジン2017年9月号では"宅録家・Chara"の一面を浮き彫りにするべく、プログラマーの成田真樹を交えた本人インタビューを敢行。さらに、Chara作品に深いかかわりを持つエンジニア/プロデューサー/ミュージシャンたちに独自取材を行い、この規格外のアーティストに迫ってみたい。
ピアノはいわゆる楽典よりも自由に弾く方が昔から好きだった
ーまずは音楽を始めたきっかけから教えてください。
Chara 幼稚園のときに私の親友のかすみちゃんがヤマハ音楽教室に行っていて、理由をつけて私も行きたいって母親に頼んだのが最初かな。私、昭和生まれでしょ?昭和40年代って幼児教育としてヤマハ音楽教室がすごくはやっていたの。で、行き始めてから数年経ったときに、作曲もするような特別コースがあって、その試験に受かったのね。作曲はそれが最初。
ー最初はかすみちゃんと一緒にいたいという理由で音楽教室に行ったわけですね。
Chara そう。でも、本当はバイオリンを習いたかった。隣のお家が割と大きくて、そこの子がバイオリンを習っている姿をよく見かけたのね。いいなと思いつつウチはバイオリンじゃないなって遠慮して言わなかった。
ーそのときのご自宅に鍵盤はあったのですか?
Chara 最初は紙の鍵盤しか無かった。
ー"紙の鍵盤"とは?
Chara 見たことないの? 紙に鍵盤が書いてあるやつ。
ー音は出るのですか?
Chara 出ないよ!(笑)。今みたいに薄いキーボードとかじゃないから。紙の鍵盤でイメージ・トレーニングするみたいなやつ。イメトレはいつも完ぺきだった。
ーたくましい時代ですね。
Chara だからちゃんとしたピアノが欲しかったんだけど、"うまくなったら買ってあげる"って止められていたのね。しばらくして、ピアノ教室に通って結構上手になってきたから、父親が酔っぱらって気が大きくなっているときにお願いして、アップライト・ピアノを買ってもらえることになった(笑)。その前までは紙の鍵盤、もらい物の足踏みオルガン、それから足の折れたトイ・ピアノ、あとはCOLUMBIA Elepianっていう電子キーボードは家にあったんだけど、やっと本物のピアノが来た。でも、買ったら練習しなくなった。
ーどういうことですか?
Chara 好きな感じで自由に弾いたりはしていたけど、練習曲とかを弾くのがイヤになっちゃって。もともと譜面が苦手で、あれって数学じゃない? 分母が左手で分子が右手みたいな。だから、曲を耳コピして弾くのは好きなんだけど、いわゆる楽典みたいな曲は弾かなくなった。ピアノも中3くらいまでしかやらなかったし。でも作曲の課題をやっていたことで、長調と短調を組み合わせて曲を作るとか意外と楽しいなとか思っていたのね。
ー当時、あこがれのアーティストはいましたか?
Chara 特にいなかったけど、テレビで小坂明子さんが「あなた」をグランド・ピアノで弾いているのを見たのね。それまでピンク・レディーとかキャンディーズは耳にしていたけど、小坂さんを見て"楽器弾きながら歌っていてカッコいいな"とは思った。だから最初にやった弾き語りは、その「あなた」を耳コピしたもの。
ー洋楽はまだ聴いてなかったのですか?
Chara 叔父の家にキッスのポスターが張ってあったり、プロコル・ハルムの「青い影」をどこかで耳にしたりはしていたけど、そんなに意識はしてなかったかな。そうそう、小学生のときはノーランズが好きだった。で、彼女たちの「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」はもともとダイアナ・ロスが歌っていたということを知って、そこからオリジナルを聴いてみたりして。高校生のころになると、もっといろんな音楽に興味を持つようになって、ローラー・ディスコに行ったりしてた。
ーどんなディスコなのですか?
Chara DJがダンス・ミュージックを流していて、その中でローラー・スケートで滑るっていう。そこでソウルとかファンクとか好きになった。普通のディスコよりもローラーの方が好きで。
プリンスにあこがれて サウンド・プロデュースがしたかった
ーいわゆるバンド活動を始めたのはいつごろですか?
Chara 高校に入ったくらいだったかな。当時バンドやる子って、メタルみたいな感じかフュージョンが多くて、私も鍵盤が弾けるからってことで高中正義さんのコピー・バンドに誘われたのね。でも高中さんの曲って鍵盤も難しくて、大変だった。あとはお笑いバンドもやってたかな。だから高校時代はバンドやって、ローラー・ディスコに行くって感じで。まだ歌ってなかった。
ーまだ歌ってなかったのですか?
Chara そう。高校ではチアガールをやっていたんだけど、踊るのが好きだったのね。で、踊るには音楽があって、そこにはビートとグルーブが無いとダメだから、その組み合わせはすごく好きだった。
ー歌い始めたのはいつぐらいからですか?
Chara 19歳くらいかな。チアガールで踊っていたら、ソニーのSD事業部につながっているバンドの人からキーボードに誘われて、試しにやってみたのね。でもそのバンドはちょっと違うなと思った。その後、東京・板橋のリハーサル・スタジオ周りの仲間と知り合いになって、サウンド・プロデューサーの浅田祐介とベーシストの平田みずほと一緒にやろうってことになったのね。田辺恵二ともそこで知り合ったけど、最初はサポートっていう感じだったかな。その3人組もSD事業部が見守っていて。
ーその3人組では既に歌っていた?
Chara うん。歌うきっかけは失恋とかもあったんだけど、"歌いなよ"ってよく勧められていたから、思い切ったことをしたくてやってみたのね。でも本当は歌いたくはなかったし、サウンド・プロデュースがしたいなと思っていた。プリンスにあこがれていたから、マルチプレイヤーってカッコいいなと。
ー当時から現在のようなボーカル・スタイルだった?
Chara いやいや、全然歌えてなかった。最初のライブで歌ったときに、自分が思い描いていた通りに全然できなくて、自分にムカついて後ろ向いて歌ったりとかして。半分泣きながらやってた。
ーそんな経験をしつつもデビューまでこぎ着けたわけですよね。
Chara 新人プレゼン・ライブのときに、"今日はレコード会社の偉い人が見に来る"って言われて、要するにうまく行けばデビューできるっていう日があったのね。でも、誰が偉い人だか分からなくて、とりあえず最前列でノリノリな白髪のおじさんがいて、その日も歌は全然ダメだったんだけど、とにかく動きでアピールしていたら、その人が丸山(茂雄)さんっていうEPICソニーの偉い人だった(笑)。それでデビューが決まったんだと思う。
最初に買ったシンセはバイトしたお金で手に入れた
ーCharaさんの宅録原体験は?
Chara 最初は2台のカセット・デッキを並べて交互に録音しながら音を重ねてた。最初に録った音が、最後の方になると遠くの方に行っちゃう感じ(笑)。あと、リズム・マシンも無かったから、ボイス・パーカッションまがいのことをやったりして。1人で多重録音をするのは好きだったから、その後YAMAHAのカセットMTRを買ったのかな。でも私は何をやっても、レベル・オーバーしてひずんじゃったり、テンポをわざと速くしたり、そういう変な使い方が好きだった(笑)。あと、打ち込みはROLAND MC-500っていうシーケンサーを使ってて。フロッピー・ディスクに記録するって、今考えるとすごいよね。音源は何を持ってたかな......
(続きはサウンド&レコーディング・マガジン2017年9月号にて!)
品種 | 雑誌 |
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仕様 | B5変形判 / 252ページ |
発売日 | 2017.07.25 |