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アーネスト・ラングリン本人が語る スカ〜ロックステディの創生秘話|ギター・マガジン2017年9月号より
Interview by 河原賢一郎 Interpretation&Translation by 守屋智博 Photo by 菊地昇 Special Thanks 石井"EC"志津男
ジャマイカ音楽のすべてのルーツである"SKA"を生みだした音楽集団=スカタライツ(The Skatalites)に在籍し、今なおギター・インストの傑作を生み出し続ける大巨匠、アーネスト・ラングリン。ギター・マガジン2017年9月号におけるジャマイカ特集において、何とアーネスト・ラングリン本人とのコンタクトに成功! SKAの創生期からRocksteady誕生までの秘話、フレーズ構築術から名盤での使用機材と、余すことなく語ってくれた。ここではその超貴重なインタビューをチョイ見せ!
メロディは最も美しいパートだけど、これはハーモニーとベース・ラインに呼応する形で生まれてくるんだ。
ー今回はスカやロックステディ、レゲエの中でも"ギター・インスト"に焦点を絞った特集なのですが、ギター・マガジンとしてはあなたが最重要人物だと考えています。
それはありがとう。とても光栄だね。
ーあなたのルーツはジャズである一方、メントやカリプソにもかなり影響を受けていると思うのですが、いかがですか?
それらすべての音楽から始まり、レゲエやスカにおける最初期の作曲家としてキャリアを歩んできたよ。スカはコックソン・ドッド(ジャマイカの重要プロデューサー)が設立したスタジオ・ワンで、セオフィラス・ベックフォード(vo,p)が最初のレコーディングを行なった日に生まれたんだ。彼が歌った独特なビートの「Easy Snappin」がスカの最初の曲だね。60年代に私はイギリスに渡って、アイランド・レコードで仕事をしてミリー・スモール(vo)の「My Boy Lollipop」でプレイし、それがヨーロッパを中心とした世界レベルでのスカのヒット曲となった。ジャマイカに戻って来てからは、フェデラル・レコードとスタジオ・ワンの仕事を同時に任されるようになり、デューク・リードのスタジオも管理するようになったよ。クランシー・エックルスともうひとりの男......名前が思い出せないんだが(笑)、彼と仕事をして最初のレゲエのヒット曲を書いたんだ。まったく名前が思い出せなくて困ったな(笑)。
ーメントやカリプソといったカリブの伝統音楽とジャズを組み合わせる際には、何がカギになるのでしょう?
メントやカリプソは私が音楽を始めた頃にはすでにあったものだが、そのサウンドの特徴は素晴らしいコンポーザーたちがいたことにある。そしてこれらの音楽の次にスカがやって来て、私はそれに先に手を染めることとなった。イギリスに渡ってミリー・スモールと仕事をした頃から、この音楽のテンポがちょっと速くなってね。イギリスは音楽の中心となっていった国だったから新しいものが生まれていったんだ。その一方でスローなタイプの音楽もプレイされて、それがロックステディと呼ばれるようになったんだ。私はジャマイカでロックステディが生まれたあとにイギリスから帰国し、デューク・リードのスタジオで働いてクランシー・エックルスとも仕事をした。プロモーターたちの活動も活発になってきた頃には、のちに生まれたレゲエにも活動の場を広げるようになった。今まであげてきた音楽が私のキャリアだけど、音楽活動の原点はデューク・エリントン(p)のようなビッグバンド・ジャズにある。ディジー・ガレスピー(trumpet)らがその発展系であるビ・バップを携えて活動し、次はジョン・コルトレーン(T.sax)の時代がやってきた。1953年頃、ディジー・ガレスピー・バンドの歴代の凄腕ギタリストたちと比べられて、ミュージシャンを斡旋するエージェントから私は"世界で3番目のギタリスト"とキャッチコピーをつけられたりもしたね。まぁ人気と実力からいえばディジーのバンドと比べられて光栄だったけど(笑)。キャリアの初めはホテルに出入りしてアメリカのスタンダード・ナンバーをプレイし、ツアーにも出るようになり、ジャズの世界で活躍するようになったんだ。音楽的なことはこの時期にたくさん学んだよ。ただ、ジャズのようなあまり商業的とはいえない音楽を専らプレイしていたことに疑問を感じ、そこから商業的な方向性を歩むようになってスカやレゲエを真剣にとらえるようになったんだ。今度はそういった音楽でツアーを重ねたけど、私のやっていたレゲエは一般的なものとは少しスタイルが違っていて、ハーモニーやビートにモダンなセンスが加わっていたんだ。
ー確かにあなたの作る曲やフレージングは独特です。音楽理論はどのように学びましたか?
私はビッグバンドから音楽をプレイし始めて、学校には行かず独学でギターを学んだんだ。音楽に関する本を買っては学び、耳が良かったこともあったからビッグバンドの音を聴いて学んだこともあった。実際にビッグバンドで夜の盛り場でプレイもしたし、カルテットやクインテットでも演奏したよ。特にクインテットではホテルでやることがたくさんあったね。そのうちに、ビッグバンドでは自由にプレイするスペースがないことを強く感じ始めて、少人数編成のソロ・ワークをしようと決意したんだ。ビッグバンドでもギター・ソロを披露することはあるけど、クインテットなんかと比べたらわずかなものに過ぎないさ。そして自分のバンドを率いて活動を始めたわけだけど、それ以降もビッグバンドで特別なプロジェクトの参加ならOKともしていた。結局すぐに小編成のバンド活動に戻っていったけどね。
ーあなたのソロ・アルバム『A Mod A Mod Ranglin』(1966年)は、ジャマイカ音楽史の中でも屈指のギター名盤だと思うのですが、どんな思い入れがありますか?
当時自分が考えていたモダンなサウンドが作れたと思っている。私はずっと自分の音楽にモダンさを追求していて、『Ranglin Roots』(1972年)は特にそんなアルバムだよ。90年代になるとレゲエとスカのスタイルを以前と同様にプレイしながらも、ハーモニーを新たな形で加えるようになったんだ。『Mod Mod Ranglin』は私がフェデラルで仕事をしていた65年録音のアルバムだよね。彼らのために作った7枚のアルバム中のひとつだったと記憶している。このアルバムでは単音でのプレイが多かったと思うし、ひとつのスタイルを披露した作品だ。フェデラル以降の私はスタイルを少しばかり変えていて、それはずっと同じプレイばかりしていて違和感を覚えるようになったからなんだ。
【イベント開催決定】
9/8(金)at 晴れたら空に豆まいて
『ジャマイカ、楽園のギタリストたち』特集記念 Guitar magazine JAMAICA Night!!
カリブの空と海が育んだ、楽園のギターを浴びろ!
ギター・マガジン2017年9月号『ジャマイカ、楽園のギタリストたち』の発売を記念し、スカ、ロックステディ、レゲエ、さらにはカリプソやメントといったカリブ音楽を、"ギター目線"で徹底的に掘り下げるイベントを決行! 特集で取り上げた名盤を聴きながらの考察トーク&編集ウラ話、古いカリプソ・カバーなどをレパートリーに持つWADA MAMBOのデュオ・ライブ、数多のジャマイカン・レジェンドたちと共演してきた秋廣シンイチロウ率いるスペシャル・バンドのライブなど。ジャマイカまわりのギタリスト多数出演のロックステディ〜カリビアン・ギター・ショウケース!熱い一夜になること間違いなしです!
【出演バンド】
マンボーロック・スペシャル・バンド:歌心を紡ぎ、ひたすらバンドをグルーヴさせるロックステディ・ギター職人、秋廣シンイチロウを中心に、そのスジの達人が集うセッション・バンド。
秋廣シンイチロウ(kodama and the dub station band、speak no evil、matt sounds):guitar
大和田"BAKU"誠(cool wise man、copa salvo、matt sounds):guitar
長久保寛之(exotico de lago、lake、tetsundo trio):guitar
リンテ伊藤(the eskargot miles、スキヤキス):guitar
ワダマンボ(Cassette Con-Los):guitar
小粥テツンド(TETSUNIQUES、TUFF SESSION、Matt Sounds):bass
ヤギー (TUFF SESSION、NISHIYARD、tetsundo trio、):drums
WADA MAMBO(guitar)+アンドウケンジロウ(clarinet) : 日本随一のカリプソ・バンドと呼ばれるカセットコンロスを率いて20年弱。古めのカリプソだの、アフリカだの、ブルースだの。そしてネコ、ギター、廃れ行く諸々をこよなく愛する。
【トーク・セッション】
ワダマコト(カセットコンロス)×河原賢一郎(ギター・マガジン副編集長)
誌面で紹介したレコード演奏&解説。ギターの奏法実演など。
【SHOP】
【イベント概要】
9/8(金) at 晴れたら空に豆まいて
開 18:30/演 19:30 前 2,500円/当 3,000円 +1D 600円
(ギター・マガジン2017年9月号ご持参の方は500円引き!!)
問い合わせはコチラ
ジャマイカ特集の本誌と連動したAppleMusicのプレイリストが公開中!最新の第4弾まで視聴はこちらから。
品種 | 雑誌 |
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仕様 | A4変形判 / 258ページ |
発売日 | 2017.08.12 |