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富裕層、若者層、ヤンキー層から形成される「湘南」のイメージ【第五回】
text by リットーミュージック編集部
"「湘南」はイメージである"という大胆な仮説を打ち出した書籍『「湘南」の誕生 音楽とポップ・カルチャーが果たした役割』が発売中だ。そのイメージは実は音楽や文学、映画などのポップ・カルチャーが作ったものである、というのが本書の主張である。その中身を5回に分けて紹介する最終回はテレビや映画の舞台にもなった極楽寺。
第五回
極楽寺
極楽寺は閑静な住宅地だ。江ノ電の長谷と稲村ヶ崎の間にある。古刹、極楽寺と極楽寺坂という切通しが以前、テレビ番組『ブラタモリ』でも紹介されていた。その坂を下りた先に江ノ電・極楽寺駅がある。木造の古い、小さな駅舎だが、映像作品、マンガ、アニメなどによくキービジュアルとして登場することが多い。周辺も観光地的な色合いはあまりなく、素顔の鎌倉を伺い知ることのできる地域である。しかし何故、極楽寺がいわゆるコンテンツ作品の舞台に使われることが多いのだろう。
先にも触れたが、最初に極楽寺をロケ地に使ったのは、1976(昭和51)年に日本テレビで放送が開始された『俺たちの朝』であろう。この作品は前年、高視聴率を上げた同じ日本テレビで中村雅俊が主演した『俺たちの旅』の後を受けた形で、うまく人気を引き継ぎ、当初1クール予定だったが、『太陽にほえろ!』でテキサス刑事を演じていた勝野洋の主演ということもあって、結果的に『俺たちの旅』同様、4クールの放送になった。いわゆる日本テレビの青春ドラマの一作だった。
ただしここで描かれる若者たちは『太陽の季節』や『八月の濡れた砂』とは違う、新しいタイプのものだった。この時期はやがてヤンキーに継承されるツッパリが登場した頃だが、このドラマではアメリカのカルチャーが浸透してきて、安穏とした若者たちが描かれている。現代コミュニケーションセンターでは、新入社員を年代別にニックネーム化しているが、それによると1973(昭和48)年は、おとなしいが人になつかず世話が大変な「パンダ」型、1975(昭和50)年は、群れから外れやすく、シラケた目で見ている「ジョナサン」型ということになっている。これで当時の一般的な若者像がつかめるだろう。
このドラマの放送によって、作品の舞台になった古都・鎌倉が再認知され、モータリゼーションの影響で江ノ電も廃止の危機にあったが、この作品のヒットによって極楽寺が若者の新たな観光名所になり、経営危機を脱することに貢献したといわれている。それ以来、極楽寺はさまざまなコンテンツ作品の舞台に使われることが多くなった。マンガでも2001(平成13)年から『コミック・フラッパー』に連載された柳沼行の『ふたつのスピカ』では1話目に極楽寺駅が描かれ、2002(平成14)年から『週刊少年ジャンプ』に連載された岡本倫のマンガ『エルフィンリート』ではやはり1話目に極楽寺駅が使われている。
また2006(平成18)年から『月刊フラワーズ』に連載された吉田秋生の『海街diary』も作中で主人公のすずを含めた香田家四姉妹が通学、通勤に利用する駅として描かれている。2011(平成23)年から『月刊コミックブレイド』に連載され、アニメ化もされた『南鎌倉高校女子自転車部』もキービジュアルに極楽寺駅が描かれている。
意外かもしれないが、映画からテレビへシフトした1970年代、現在は千葉県知事になっている森田健作主演のテレビドラマ『俺は男だ』は、「湘南」が舞台だった。1971(昭和46)年の放送だったが、この作品では確かに海岸で剣道の練習をしている場面が今でも記憶にある。青葉高校のモデルは善行にある藤沢商業高校(現藤沢翔陵高校)だ。吉川操と並ぶヒロイン、丹下竜子の相沢高校は栄光学園が使われている。また森田健作演じる小林弘二が彼女と対決するのが小動神社、このドラマには稲村ヶ崎駅、七里ヶ浜、鎌倉海浜公園、坂の下、由比ヶ浜、材木座、光明寺と「湘南」が目白押しである。このドラマのロケ地が「湘南」だったのは、放送されたのが日本テレビではあったが、製作が松竹だったということにあるのかもしれない。
『俺は男だ』『俺たちの朝』などのテレビドラマは「若大将」シリーズで健全になった「若者と湘南」のイメージをさらに一般化し、「青春」という要素を押し出すことによって、視聴者と「湘南」の距離が縮まっていく。まさに反復によるイメージの強化ということなのかもしれない。
近年では極楽寺が大きくアピールされたのは、テレビドラマ『最後から二番目の恋』であろう。2012(平成24)年に放送されたこの番組は45歳独身のテレビ局の女性プロデューサーと50歳独身の鎌倉市役所に務める公務員の恋愛物語だった。舞台は極楽寺、駅にはドラマ放送後から2016(平成28)年まで出演者のサインやポスターが貼られてあった。主演者、脚本家などがさまざまな賞を受賞、2014(平成26)年には『続・最後から2番目の恋』が放送された。主演の一人、中井貴一は父親が俳優の佐多啓二だったことから、名前は小津安二郎の命名だという。東京生まれではあるが、鎌倉との縁に強い俳優である。もう一人の主演の小泉今日子も厚木の出身だ。
中井貴一演じる主人公の家は長倉家だが、入り組んだ路地の多い坂ノ下にあり、場所的にはちょうど極楽寺駅と長谷駅の中間にあたり、長倉家で営んでいる古民家カフェのロケ地になっているのは、「カフェ坂ノ下」で、このドラマのファンが来店する「聖地」のひとつになっている。もちろんドラマには近隣の七里ヶ浜も登場し、「湘南」のイメージ形成に大きく寄与したといえるだろう。
また前掲した『海街diary』は2015(平成27)年に是枝裕和監督によって映画化され、第39回日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞、興行的にも成功を収めた。マンガの原作同様、物語の主人公である四姉妹の家は、極楽寺駅の近くの古民家に設定されている。そこを起点に大半のロケ地は鎌倉をはじめとした「湘南」に集まっている。七里ヶ浜のカフェ・バー、逗子の喫茶店、江ノ島の食堂、そして葬儀後、四姉妹が喪服姿で歩くのが稲村ヶ崎の海岸だ。
極楽寺は格別、目立った観光地ではなく、住民が普段の生活を送る住宅地である。それがさまざまな作品の舞台になっている大きな理由なのであろう。観光地の「湘南」ではなく、生活圏としての「湘南」である。